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いろり通信

還暦の朝に思う

今日から、少し遠出する私のために、昨夜おばあちゃんも含めた家族全員が、一日早い生誕をお祝いしてくれました。本当に、理屈抜き心から嬉しく思いました。

やはり何と言いましても、私がこんなにも元気に生きているのは、家族のおかげなのだということを、心底確認いたしました。

というわけで、つつがなく還暦を迎えることができたこと、天に向かって感謝しつつブログしています。何というのでしょうか、18歳から世の中に出て、まさか60歳まで生きられるなんてことは、あまり考えもしない(考えられない、不確かな時代を生きている認識から)人生を歩んできたが(選択してきた)ために、私にしかわからない、ある種の個人的感慨に、おそわれるのです。

しかしともあれ、先の人生は見えないものの、何かもうこれからはひたすら淡々と、自分の心に正直に、出来るだけあるがままの、己を生きてゆきたいと、ここに謹んで記したい心境です。

さて、私は生まれて初めて、これから雪に覆われた、厳冬期の東北に出かけます。

帰りは、これまでの人生で出会えた、かけがえのない友だちたちと、旧交を温めたく思っています。したがって、しばらくはITとはお別れですが、ペンとノートは持ってゆきます。

還暦を迎え、いよいよこれから、自立した老人になるべく、一日一日を、大切に生きてゆきたく思います。そんな想いを、共有できる方々と、歩みたく思います。

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還暦間近に思う

還暦まで、今日を入れてあと2日、何やらうまく言えないけれども奇妙な感じである。本当に60年間も生きてきたのかというには、いささかまだまだ、生くさい自分であるという感じがどうしても付きまとっているからである。

他の方はどうか知らないが、私の場合は、還暦感覚というものが、はなはだ希薄だという気がしている。伝統的な社会の通念としての還暦ということは否定しないが、個人的には全く単なる通過地点としての還暦、というくらいの認識しか今の私にはない。

とはいうものの、肉体的な、下り坂ということはいかんともし難く認めないわけにはいかないけれども、そこにまたなにがしかの、世界を見つけてゆく。何というのでしょう、老いらくの恋、ならぬ、老いらくの可能性を探したのです。

初めて経験する、未知のゾーンに対する、好奇心のようなものが、最近私の中に起きてきつつあることは、自分自身が一番よくわかります。これだから、生きているということは面白いのだということができるのです。若いころは、アフリカにゆくという目的にを立てると、一心不乱にその目的のために生きたものですが、最近はそういうことが起きないということではなく、いろんな楽しみの選択が増えたように感じています。

一言でいえばこれからは、遊びをせんとや生まれけん、という世界にたゆたいたい、とう思いなのです。

生きてゆけるのであれば、出来るだけ自分の時間を、まっとうしたいという思いです。

世界は原子力の繭の中になかにくるまれ、にっちもさっちもゆかないところまで、われわれの棲むこのかけがえのない水の惑星は追い込まれていますが、その惑星に生きる一個人としての危機感覚は、持ち続けたく思います。自分自身の感覚としてこのままでいいとはとても思えない時代に、われわれは立ち会っているのだと思います。

ともあれ、東北で少し頭を整理し、これからの自分時間を有意義に過ごしたく思います。

三月末を持って囲炉裏通信は終わります

この囲炉裏通信を立ち上げてくれ、以来2年以上にわたって私の拙文を掲載し続けてくれているY氏と本当に久しぶりに昨夜会いました。

園長を拝命して、夢が原からを発信すべく始めた囲炉裏通信ですが、時代の変化、分けても3・11(以降)が内的に私の中に与え続けている、言葉化し難い思いは、私のブログの中身にじわじわと自然に大きな影響を与え続けています。

夢が原を辞めるわけではありませんが、一応の区切りとして園長を辞すこの機会に、囲炉裏通信は一区切り、3月いっぱいで、終わりにすることにきめました。

此の間、現時点でのささやかな今を生きる、私の日々の思いは、この2年間で書き尽くしたように思います。

お陰さまで、よたよた打っていたキィも気がつけば随分早く打てるようになりました。それと、日々の確認の文章を書くのが苦にならなくなりました。これは私にとっては大きな変化です。今後を生きる上での、楽しみが加わりました。

昨夜、帰りの電車で、たまたまバイトを終えた娘と一緒になったのですが、ブログの件を話したら、よいサゼスチョンをしてくれまた。

ともあれ、2年以上、ブログという未知の世界を、Y氏を通じて経験できたことは、充実した、苦楽の中の悦びを晩年の入り口の私に与えてくれました。心から、縁に感謝します。

何事も始まり、そして終わり、また始まる。一応、囲炉裏通信は終わります。ですけれども、私の人生は続き、五里霧中のような時代の中、自分自身を自分で励ますような、文章は、日記という形で書き続けたく思います。

一寸先は、わからない人生を18歳から歩み始めた私ですが、いまだに一寸先は自分でも(大多数の方がそう思われる時代状況を生きておられるのではないでしょうか)わかりません。だからこそ、悔いなく地に足をつけてしっかりと立ちたいという、極めて当たり前の感覚だけは、無くしたくはないという気持ちは深くなってゆくように思います。

東北への旅を前にして

宮崎出身の私にとっては、やはり東北は未知の国である。漫然とゆきたいとは考えていたのだが、実際近づいてくると、奇妙な不安感にもとらわれたりしているが、もうなかなかにこのような時間を持てることは、無いかとも思うし、ここは一つ余計な先入観を持たず、ただ還暦後のいくばくかの時間を、東北で過ごししたいというだけである。

行ったからどうというものではないのだが、理由はともかく、やはり行ってみないとわからないという事があるのはが、真実であるというのは、これまでの人生でいくばくか経験している。家族はこの厳冬期にゆかなくてもといい、私の旅を案じるのだが、あまりにも広範囲の被災地の方々は、この冬を生きているのである。私にしてみれば、たんなる感傷的な、物見遊山の旅ではないのだ。

そっと、その人々の暮らしの地を、この眼と体で、ほんの少しでも体感できたらという思いが、還暦を一つの契機として、選んだ私の行動である。オーバーではなく、今後の人生のスタートを、東北の地を踏むことで、しっかりと確認したいことが、私の中に生れて来たのだ。

それは、実にシンプルなことで、極めて普通の、感覚なのだが、言葉にするのははなはだ恥ずかしく、自分の中にしまっておきたい。

さてひさしぶりの長旅で、汽車の中で過ごす時間が長いので、読む本を昨日は選んだりした。まだ自分を老人と呼ぶには、はなはだ若造なのだが、老人と海、ではなく初老人と本。本を持っての旅になりそうで、難しい本はやめて、気楽に読める本を5冊ほど持ってゆくことにした。重い荷物になるのだが、この荷物は何としても私にとっては必要なものだ。

ともあれ、朝のひととき、いつものように何も考えず、思い浮かぶことを徒然書きました。東北にはペンと紙をもってゆきますから、何かメモを取ってこようとも思っています。

後藤正治著・清冽を読む

茨木のり子、という詩人の書いた、詩集・寄りかからず・が我が家に一冊ある。先ほど本棚で久しぶりに手にしたのだが、買った当時に読んだのと、いま現在この年で読むのとでは、まるで異なった印象を持つのは、私自身が歳を重ねているからだと思う。

何故こんなことを書きはじめたかというと、先日図書館で、後藤正治著・清冽(詩人茨木のり子の肖像)という本をたまたま手にしたら、読まずにはいられないくらいに、引き込まれ、時間を見つけて電車の中で読んでいるのだが、半分近くまで今読み進めている。

犬も歩けば棒にあたるということを信じている私は、最近の休日はほとんど図書館か、愛犬メルを連れての散歩や、その他こまごまとした、自分のことをやっているとあっという間に時間が過ぎてゆく日々を送っているのだが、良い本に出合うと、なんか宝物に当たったような気になり、全身が幸福感につつまれる。

今のような生活が送れるほどの、健康体がキープできれば、これからやがて迎える60代が、実に待ち遠しく、充実した時間が過せるような気がしている。さて、話は・清冽・に戻るけれど、この本を書いた後藤正治というノンフィクション作家、名前は存じていたが読むのは初めて。いやはや素晴らしいお仕事をされているということは、この本一冊でわかる。

あまりにも地味で、孤高を保つ詩人、茨木のり子さんに光を当て、その方の肖像に迫る、渾身のノンフィクション。

寄りかからず、見事にその人生をしめくくった、茨木のり子さんの人生は、これからの私の人生で、繰り返しおそらく手にする本になると思う。普遍的に繰り返し読む本に囲まれ、それで得たエネルギーを何らかの形で実践してゆくような、晩年を生きてゆきたく思う。

ところで、昨日は2000年に無くなった父の命日だった。あれから12年が走馬灯のように流れたが、年々父の面影が、私の脳裏を駆け巡るようになってきた。子供のころは父が怖くて仕方がなかったが、その怖い父に鍛えられたおかげで、いまも何とか生きているのだ。

これからますます、父との想像上での、対話は深まるように思う。

娘の就職活動に思う

立春の朝である。のんびりとした一人の朝のひとときを過ごしていたら、大学生の長女が昨日もアルバイトで遅かったのに、早起きして大阪まで、就職活動に往くという。

本当に人間が生きてゆくために、仕事を選び、生きて人生を全うするというのは、生半可なことではないということが、この年までなんとか生きてきた私としては、実感する。

月並みな激励しかできないけれども、親としては非情だけれども、自分の人生は、自分で切り開いてゆくしかないのであるから、見守るしかない。

私自身のこれからでさえ、先行きの見えない時代が到来し、その中、必死で生きている今、大方の日本人が不安を抱えながら、生きていることは容易に想像できる。

人は何故生きるのかという哲学的な問いの答えは、いまだ判然とはしないが、あまたの戦争や自然災害や困難の中をそれでも人間は生き延びてきていること、冷静に考えれば、すごいことであると思う。

所詮、なるようにしかならないのだが、月並だが深呼吸しながらあまり余計なことは考えず、極めて普通の地に足が着いた生活を、ただ心かけ生きる、しかない。

こんなことを書くと、朝から何やら暗いけれども、まったくそんなことはないのである。人間には、考える力が与えられている。困難は人間を強くする。強靭な精神力を普段から養いながら、生活していないと急には身につかないのである。心身を鍛えておかないと、あらゆる危機には対応できないのである。危機感の無い人間は、ふやけてしまう。

人間以外の、自然界の生き物は、みんなそうしている。人間も例外ではないと、私は考えている。死と生は隣り合わせなのである。

3月末、定年をもうすぐ迎える向かえるわけですが、18歳から60歳までなんとか、働くことができて、かけがえのない家族に恵まれた私は、幸せだと思います。

しかし、、人生はまだ続くわけですから、娘への激励は自分に対する激励でもある。

東北への出発日決まる

2月2日の朝である。早2月ではあるけれども、自分で感じることをことさら書くこともない気もするのだが、自分なりに良い一月を過せたという気がしている、充実した日々を送ることができたという意味で。本人感覚なのだが、後10日で誕生日を迎え、還暦になる私としては、静々としてその日を迎えたいという、心境である。

その日を無事に迎えたら、またなにがしかの他愛もない一文を書くかもしれませんが、その日から、東北に向かう予定なので、ブログが書けるかどうかはわかりません。

東北(とくに日本海側)はすごい雪のニュースが伝えられています。3・11以後、時間をなんとか見つけてという思いが、ようやく実現する運びとなりました。やはり、東北は遠いですから、ある程度まとまった時間がないと、かの地に足を運ぶことが叶わなかったのです。これまでの人生で、東北を(福島には滞在しましたが、それより北の国)通過したことはあるのですが、ゆっくり滞在したことはありません。それに一口に東北と言っても、あまりに広い。この年になっての初めての東北への行脚に、何故ゆくのか。

宮沢賢治や石川啄木を生み出した東北の地、数々の景勝地や歴史的遺産。大地震や大津波に度々見舞われながら、その都度粘り強く立ちあがってきた、東北の人々の歴史。宮崎の穏やかな気候の中で、のほほんと育ってきた私にはうかがい知れない、日本が世界に誇れる精神力の持ち主たちが住んでいる邦、東北。間もなく一年がたとうとする今、おそらく被災地は寒気と雪に覆われていることでしょう。厳冬期、これも何かの思し召し、現地に立つことにしました。現地で冷気(霊気)を吸いたく思います。

珍しく旅にむかう、準備をする自分がいます。青春の終わり、北海道の富良野で、3度冬を過したことがあるのですが、あれから27年経っています。おそらく東北の寒さは、岡山とは比較するすべもないでしょう。頭、手先足先の防寒は、ことさらきちんとしてゆかないと大変なことになります。往くにあたってたった一つ決めていることがあるのですが、それは戻ってきてから、実現したら書くことにします。

私自身のささやかな還暦の旅は、3・11が起こらなかったら東北ではなく、異国の地を旅していたかもしれないのですが、まったく情況が変わってしましました。

そこはかとなく、試練の時代の到来を感じます。東北の人々に(全くいないのですが)触れることで、いつもとは異なる内省時間を過したく思います。

石岡瑛子さんの訃報に思う

石岡瑛子さんという、世界的デザイナー(衣装でアカデミー賞も頂いている、舞台のスパイダーマンも彼女のデザイン)がお亡くなりになった事を、新聞と藤原新也さんのブログで知った。昨年、NHKのプロフェッショナルという番組を見ていたので、(お元気そうでしたので)あまりの急変に驚いた。番組化された時点で、すでに膵臓癌に侵されていたそうだ。それでもそんな気配は、画面の中には毛ほども感じず、ひたすら仕事に生き生きと生きる姿には、年齢を超越した、輝きがあふれていた。

藤原さんは、昔、モロッコでかなりハードな仕事を一緒にされていたことがあるそうで、(その素晴らしい写真とデザインが、2枚アップされている)短い彼女を送る言葉を書かれているが、胸を打たれる。本当にすごい仕事を共にした仲間というのは、当人同士にしか、わかり得ない世界があるのだと思う。

生きて、本当に仕事をするとはどういうことなのかを、かろうじてまだかすかに真剣に考える自分がいる。せっかく生きているのだから(命が与えられているのだから)小さな命であれ、輝かせて、まっとうしたいと、考える自分がいるのである。

死を宣告された中でも、自分の仕事を果敢に、貫徹する生き方には、強靭というしかない人間としての、尊厳と誇りがある。安きに流されない、人間としての誇りはいかようにして育まれるのかを、考える。人は生まれてくる環境や、時代を選べないし、何かと不自由な中に生きるしかない存在であるけれども、その中で果敢に自分の世界を求め生きる、いわゆる大きな志を持って生きている方に、どうしてもすごく惹かれる、自分を感じる。

万分の一でも、ささやかな志を持って生きたいと、還暦を間近にそう思うのである。そういう生き方をしている方々と、間接的でもいいから繋がりたいという(バーチャルでいい)感覚は年と共に、深まりつつある。

ニューヨーク摩天楼の中で、日本人として一人世界を相手にして、生きて来られた方の壮絶な生き方は、小さなささやかな生を営んでいる私にも、すこぶる大きな元気を与えてくださった。
若いころ、パルコのデザインか何かで、私も石岡瑛子という名前は知っていたが、日本を離れ世界と対峙して仕事をされていたことは知らなかった。

石岡瑛子という名前は、二度と私の頭から消えることはない。彼女の本を、作品を求めたくなった。ご冥福を祈る。

本を読む日々

二日もブログを書いていないと何やら随分書いていないような気がする。これがいいことなのか悪いことなのかは、自分でもよくわからないが、退院後は自分に負荷をかけない、もうそれなりの年齢なのだから、無理がしたくても無理はしないということに(とにかく妻が心配する)決めた日々を送っています。。

ただ、どういうものでしょう。浮世のしがらみの中で、出来るだけ自分の心の、為すがままにということを心がけて、およそひと月が経とうとしていますが、はなはだ体調がよく、したがって、貧しくも健気な気分爽快な日々を送っています。病は気から、気の持ちようなんてことを昔から申しますがまさにその通りだと、感じています。

静かな日々を心かけていますから(こころから企画したいことが見つかるまで、しばし眠ります)判で押したような時間の区切りの日々なのですが、その生活の中での一番の楽しみは、やはり本を読むことです。本は、作者が命がけで書いた作品から、すぐに時代の中で消費され、塵芥のようになる物まで、あまねくこの世を映す鏡のように、膨大な本が本屋さんや図書館にはあります。

その膨大な海の中から、今日を私が手にする(自分のレベルで)ことになった本は、やはりなにがしかのテレパシーが働いているのだと、思います。もうそうはむやみやたらと読めはしない時間帯に、私自身の人生は入っているという自覚を持って、どこかしら手にしています。有史以来、こんなにお気軽にお酒が飲めたり、本が読める時代なんてのは、おそらくこの半世紀くらいのことだと思います。ものすごく貴重だったものを、簡単に手にするようになったおかげで、人間が豊かになったのか貧しくなったのかは、どなたかの判断に委ねるしかありません。

話がそれました、毎日ご飯を食べて生きるように、毎日本を読むということ(それから散歩と、ささやかな体操)は、本当に私にとっては生活にかかせない大切な時間です。良い本の作者の息遣いが、ほとばしって(年齢を超えた若さが)いるような文章や、推敲し考えられた言葉に出会うと、しかと受け止めた私の心と体はみるみる元気になるというわけです。

生き生きとした、屹立した精神と肉体が生み出す言葉がとても必要だと思います。それに出会うためには、どうしたらいいのかということは、めいめいが考えるしかないと思います。

東北の地に立ちたい

我が家のわずかな、空き地というのか庭には、ささやかに実のなる樹がある。冬に実をつける、はっさく、キンカン、スダチが、冬の我が家のビタミンC、いずれも妻の両親が、丹精して植えた果樹である。ありがたい。

それを毎日、少しずつ折々のタイミングで頂いている。生まれて初めて、昨年入院してからというもの、食べ物には気を使うようになったと思う。むやみやたらに食べたり飲んだりということをしなくなった。

それから睡眠時間を充分とるように心がけている。退院してまだ3カ月もたっていないが、昨日病院に、月に一回の検査に行ったところ、随分血糖値が下がっていたのには驚いた。やはり食事や、規則正しい生活の大切さを教えられている。

歳を重ねる中で、やはり私が一番キープしたいのは、可能なら動ける体の持続ということである。身体が動かないことには、何事も億劫になり、考えが衰えるからである。特に寒い季節はお年寄りには、厳しい季節なので体を動かすということが少なくなりがちであるから、なんとか今くらいの思考体力を最低あと5年間くらいは持続したいという自分が生まれてきている。

幸い、職場の夢が原は、身体を動かさないことには一日も務まらないので、本当にこの20年間、都会に住む同世代の方よりも、はるかに体を動かしてきたことは間違いないと思う。その結果、私の体重はこの20年間ほとんど変わっていないのである。

私は最近、自分自身の初めて経験する、老いてゆく身体に、すこぶる関心が湧いてきている。老いてゆくことを肯定的にとらえながら、一言でいえば老いを見つめたいのである。肩こりや、眉が垂れ、シミや、皺が増え、亡き父の晩年の写真に、自分がだんだんと似てきているが、あるがままを受け入れながら、あるがままをきちんと生きたいのである。

このような、心境はやはり年のなせる感覚で、若い時には持ち得ぬものである。だから生きているということは奥深く、未知のこれから先のゾーンを、いかに生きるかという、問題というか、自分のテーマを深く、可能なら感知したいのである。

死生観というと、何やら大げさだが、3・11以降、今を生きているということについて、真剣に考える自分がいる。2月下旬、還暦を機に随分考えた末(こんなことは珍しい)真面目に東北の地を訪ねてみたいと思う。意味なく、ただ立ってみたいのである。

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